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地獄日記

フリーお笑いコンビ、カフカのブログ「地獄日記」です。

3.12 カフカ第五回単独ライブ「進化論」に寄せて

3月12日に五回目の単独ライブします。


ライブタイトルは「進化論」です。最近考えてることをお笑いにしてみたライブなので、ちょっと最近考えてることを書いておきます。

 

個としてはただ短いスパンに生きては死ぬ生物は、種としてみると実は長いスパンで進化しているなんて言います。それは人間もまた同じだと言います。人間は、ここ百年、いやここ十年、ここ一年で見ても、たくさんの科学的、技術的、社会的な進化を遂げています。僕の小学生時代と大学生時代を比べた時に、所詮10年程度のギャップであるにも関わず、人間の暮らしはいくつものマイナーチェンジを遂げています。


はたして人間にとって「社会の進化」というものが「種の進化」にあたるのかはわかりませんが、世の中には社会のために身を粉にするべきだという言説が溢れかえっています。国の発展のために死んだ人間は英雄になるし、世のため人のために生きろという言葉は、多くの人にとって物凄く強い説得力と拘束力を持っているように思えます。


それらは、「個」としての人間の弱さを、「種」としての全体性の説明力に還元させることで、どうにか確かなものにしようとする、人間の思想上、認識上の戦略であるように思われます。人間としての実存的な関心を「社会」のような大きなもの、個に対して超越的なものに委ねることによって、死を超越した生が可能になるような、そういうプロジェクトが「社会」そのものなんだろうな、と僕は思っています。


でも、所詮それらは、ある程度以上長いスパンで観察すれば、まやかしに過ぎません。時間のスケールが違うだけで、種だって生まれた瞬間もあれば、絶滅もする。すべては、つまり社会さえも、生きたり死んだりするものです。種から種への移行によって、リレー形式で受け継がれていく「進化」というスケールの箱そのものも、当然いつかは死に行くものです。


すなわち、進化も、種も、個も、誕生してから絶滅するまでの過程のそれぞれを微分すれば、そこには「生」「生殖」「死」の三過程があるのみなのです。そう考えるからこそ、僕にとっての「進化論」は、「生」「生殖」「死」のおはなしです。


二時間にわたって、生きること、殖えること、死ぬことをお笑いにしました。よかったらどうぞお越しください。


3.12(sun)
カフカ第五回単独ライブ 進化論」
@ライブシアターなんば紅鶴


開場 19:00
開演 19:30
閉演 21:30
¥1000 (+ 1 drink)


チケットお取り置き
kafka2016.mail@gmail.com